Silent Poison

§シルバーナイトの村

そこにいる全員が、緊張を強いられていた。

地獄に流れる川のように、べったりとした赤黒い滴りが広がっていく。そこには、力無く倒れている女エルフの姿。その鮮やかなレモン色の髪が、今まさに赤く染まっていくのが見て取れる。

それは、一瞬の出来事だった。皆が楽しく談笑し終えた矢先に、誰も異変に気づかないうちに、彼女は倒れたのだ。

数多の修羅場を駆け抜けてきた戦士達でさえ、ここまで不意を突かれることは普通はない。攻撃も見えなかった上に、たった一瞬でこのありさまである。誰も声も出せず、金縛りになったかのようにその場から動くことさえもできなかった。もうすこしタイミングが違っていたら、自分が殺られていた。そう思うと、背筋に冷たいものが流れる。

敵の姿は、しかし、全員の目の前にあった。ゆっくりと顔だけを動かし、皆がそろって敵の姿を凝視する。それは血のように赤黒く、ぶつぶつとしたひき肉が混ざっている。ぐるぐると絡まった麺の放つ黄金色は、それがアルデンテ、ちょうど良い茹で加減であることを率直に物語っている。

スパゲッティ・ミートソース。ブロッコリーも添えてある。

「…マジかよ…。」

同席していた男ナイト=フォルグロス、通称フォル=が、やっと口を開いた。その声で全員がやっと思考回路を再起動させる。もうちょっとフォークを口に運ぶのが早かったら、この女エルフのように卒倒していたのだろう。椅子ごと後ろに倒れ込み、肩の上に皿をひっくりかえして目を回している。

「…ひゃ〜〜〜〜〜…」

蚊の鳴くような声で悲鳴を出しながら倒れているのが印象的だ。しかし、このスパゲッティを作ったのは彼女自身なのだ。よかった、誰も被害を受けなくて。無論、作った本人は除く。

「おーい!マスター!なんか食える物くれー!」

フォルが急いで宿屋1階のカウンターに向かって叫ぶ。ラストオーダーはさっき過ぎた。それでも、長期滞在の客だし、なによりあの様子を見ていれば哀れにも思う。マスターはガラスのコップを磨いていた手を休め、両目を閉じて「ふぅ…」とため息をつきながら奥の厨房に入っていった。おおかた、片付けも佳境のシェフたちを説得するのだろう。まかない食で良いから何かつくってくれ、と。

「ひさしぶりにクリティカルですねえ…チルムちゃん。」

「そうねぇ…1年ぶりくらい…かしら?」

男ウィザード=ワセン・ディグレック、通称ワセン=が空腹をコップの水で癒しながら言う。応えたのは女君主=マイ・ラスフォート、通称マイ=だ。

チルムと呼ばれたのは、倒れている女エルフだ。彼女の料理はなかなか好評で、全員分の自炊をまかせる事も多いのだが、なぜか3カ月に1度のペースで定期的に猛毒ができあがる。自炊場には傷を癒すオレンジポーションと毒を治すシアンポーションを常備しているが、小皿で味見をしたその姿で立ったまま石化していたり、香りを嗅いだら毒ガスだったので他の自炊客と一緒に床を這って脱出してきたりと、話題作りには事欠かない。

「よいしょ」と席を立った女ナイト=チリム・コウ・アーカ、通称チリム=が、やれやれという顔でチルムを両手で抱えて宿裏の井戸へ持っていった。男君主=ダルス・ロッセンバロウ、通称ロッソ=が防水袋を部屋からもって来て、「劇毒」と判明した全員分のスパゲッティを回収し、袋の口を堅く縛る。盟主なのに、そして盟主だからこそ、片付けなどの世話を焼くのは誰よりも手際が良い。

ほどなく、宿屋のマスターが両手に皿を3つ乗せてやって来た。クラッカーにチーズ、干し肉を並べてある。唯一、湯気を立てているのは野菜スープだ。

「…こ…、これだけ…。」

「思いのほかシェフたちの片付けが早くてな。まあ、量はマケてやったから、明日の朝まで待つこったな。」

ありがとうございます、とマイが言うが早いか、不平不満を言いながらもフォルは既に干し肉に手をつけていた。

長い夜になりそうだ。スパゲッティでの即死は免れたが、空腹という敵はもうしばらく退治できそうにない。明日の朝まで生きていられれば良いが。

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