とあるエルフの旅立ち

§第2節

 … … … … …

「あーあ、あたしの攻撃はいつになったらおじいちゃんに当たるのかなあ。」

そのエルフは、今日も攻撃が当たらなかったことを不服そうに、伸びをして地面に寝転がった。

「何事も成し遂げるという心構えが大事なんじゃぞ。どんな技があったとしても、心がなければ何にもならんからな。」

「心構え、かあ…。抽象的すぎてわかんないし…。」

「それと、おまえさんがもう少し戦いというものをわかれば、当たるかも知らんがのう。」

「だぁって、森を出ないと戦いなんてわかんないもん…。剣だけ貰ったって…。」

そのエルフはまだ森を出る許可を得ていない。森で勉強を積み、エルフとして一人前にならないと森を出ることはできないのだ。エルフの森を一歩外に出れば、そこはモンスターが闊歩する全く別の世界。森での授業には弓や剣を与えられての戦闘訓練もあるが、相手も同じエルフなので本気で戦闘をするわけにはいかなかった。

「だいたいおまえさん、今は魔法の授業の時間じゃろ。魔法が使えないといざというとき困るじゃろうに。」

「ターニャ様の魔法の授業は眠くなるって有名なんだよ?あんなの覚えらんな…ちょっと待って。」

「……ひくっ…………ぐすっ………」

ふと、森のどこかから泣き声のようなものが聞こえた。

「泣き声?」

「ああ、誰かのう…?」

しばらく見回すと、森の向こうに人間の男の子がすすり泣きながら歩いてくるのが見えた。

「人間の子じゃな。森に迷い込んでしまったか。」

「へえ…あれが人間の子…」

エルフはエントの木陰に隠れて様子を観察する。森を出たことがないので、初めて見る人間だ。

「どれ、少し森の外まで案内してくるかの。」

「待って。ねえ、それあたしにやらせて?」

エルフは初めての人間に興味心身だ。というより、森を出る一世一代のチャンスかも知れない。

「駄目じゃ。おまえさんはまだ森を出ることはできまいて。」

「大丈夫!方向はちゃんとわかってるから。おーい!」

「待ちなさい!こら、待たんか!」

エントは追いかけるが、いくらエルフを打ち負かす強さがあっても歩く早さでは勝負にならない。エルフは剣を腰につけ、エントの言いつけを無視して男の子に走り寄った。

「ねえねえ、大丈夫?」

「あ…」

人間の男の子は、突然現れた少女におどろき、泣き顔のまま立ち止まった。

「あたしはエルフ。この森の住民なの。」

「エルフ…」

「そう。エルフ。道に迷ったの?外まで連れていってあげようか?」

「…連れてってくれるの……?」

「うん!」

「…あ…ありがと…」

男の子はまだ半信半疑だったが、とりあえず誰も居ない森で人に出会ったことで、わらにもすがるつもりになったようだ。エルフが差し出した手におそるおそる自分の手をつないでくれた。

「ボクは火田村から来たの?」

「…うん…」

エルフの森の授業には地理もある。森の南西に火田村という小さな人間の村があることは知識として知っていた。

「えーと、村はあっちだから、火田村はあっちかな…?じゃあ行こっか!」

「こら!待ちなさい!まったく…」

エントはエルフを追いかけることを諦めた。森の外には危険が待っている。しかし追いつけないものは止められないので、エントはエルフの村に向かうことにした。

「ねえねえ、ボク、何歳なの?」

「…8歳…」

「へえー、人間の8歳ってこんな感じなんだ…」

エルフは歩きながら、初めての人間を観察する。生まれも育ちも全く違うエルフにとって、それは不思議な感覚だったようだ。

「…お姉ちゃんは何歳なの?」

「あたし?あたし83歳だよ。」

「…おばあちゃんなの?」

「な、に、を、言、う、か、な!こ、の、子、は!」

「わああああ!痛い痛い痛い!」

「こう見えてもエルフは1000歳まで生きるひともいるんですからね!」

「わかった!わかったってばー!」

悠久の時を過ごすエルフにとって83歳はだいぶん若い。エルフは反射的に男の子の両のこめかみにげんこつをあててぐりぐりした。しかしそんな他愛もない話をするうちに、男の子はだんだん心を開いてきてくれたようだ。火田村に着く頃には、ふたりはだいぶ仲良しになっていた。

「トミー!トミー!」

「お母さーん!」

周囲が暗くならないうちに、ふたりは火田村についた。すぐに子どもを捜していた母親が現れ、ふたりは抱き合った。

「トミー!よかったね、怖いことなかった?痛いことされなかった?」

「うん。大丈夫。」

トミーは森で頭をぐりぐりされたことは言わなかったようだ。

「良かったね、トミー君。」

エルフもふたりに近づいてトミーの頭をなでた。しかし、ここで予想外のことが起こった。母親がエルフの手を勢いよくはねつけたのだ。

「痛っ…!?」

「何が良かったもんですか!トミーは帰ってきたけど、ジャックは…ジャックはどうしたの!ジャックを返して!」

「えっ…?」

心当たりのないエルフはたじろんだ。森にいた男の子は一人だったはずだ。

「ジャックって…?」

「知らないなんて言わせないわ!ジャックは…ジャックは3日前、村をでてすぐのところでエルフに捕まってどこかへ行ってしまったのよ!」

聞いたことがない。エルフが人間を誘拐するはずがない。理由がない。しかし初めて人間の村に来たエルフでも、この村の空気がおかしいことにはすぐに気が付いた。村の住民が集まり、自分に目を向けている。歓迎されている雰囲気ではない。明らかに疑いのまなざしだ。おそらく、村人総出でジャックを探していた矢先のことだったのだろう。するとトミーはそのときにはぐれたか、一人でジャックを探すために森に入ったに違いない。

「ジャックを返して!返しなさいよ!!」

「ま…待って…」

勢いのままエルフの肩をつかんだ母親を、周囲の村人があわてて引き離す。しかしエルフへの疑いが晴れたわけではない。

「…村の住民が見てるんだ。エルフの女がジャックを連れて行く後ろ姿を…」

母親を止めに入った男が、それを説明してくれた。村人自身信じられないといった雰囲気か。信じがたいが、しかし目に見えたそれは信じるしかない。そんな雰囲気がエルフにもわかった。

「…エルフさん、悪いんだが、森へ戻ってジャックを探してきてくれないか。トミーを連れてきてくれたことは嬉しいが、我々はいまあなたを歓迎できる状況じゃないんだ…」

「………はい……」

村人の一人が辛そうに言った。返す言葉はもう何もなかった。「そんなことをするわけない」。言い返すことは簡単だが、言ったところで何にもならないのは火を見るより明らかだ。エルフはそのまま後ろに下がって頭を下げ、村を出て行くしかなかった。

(……ぐすっ……)

初めて入った人間の村。人間の村は、もっと賑やかで楽しいものだと聞かされていた。エルフが人間に危害を加えるという夢にも思わない真実もあいまって、その帰り道の足取りは重かった。しかしこのまま帰るわけにはいかない。エルフが人間に危害を加えるようなことは絶対にない。そう思いたい。それを証明しなければならない。

(…でも…、なんでそのエルフは人間さんを連れていったんだろう。それにエルフの村に近づけば他のエルフや守護者に見つかるから、森の深くへは入れないはず…まさか…)

エルフは考えを巡らせる。襲われたのは火田村の住民。森の奥へは入れない存在。そしてエルフの影。知識としてだけだが、エルフは心当たりを感じた。エルフはあてどなく歩いていた帰り道を折れ、地理で聞いた場所へと向かった。

ほどなくして森の色はまばゆく萌える緑から木々の乱立する深緑の彩となり、エルフの森から遠ざかっていることが感じられるほどになった。知識が正しければ、目的地はこのあたりになるはずだ。

「あーら、これはこれは、可愛いエルフさん。黒い森へようこそ。」

不意に、森から女性の艶やかな、それでいて棘のある声が聞こえてきた。エルフは立ち止まり、声のする木陰を睨み付ける。

「あら…、その様子だと、どうやら迷い込んだってわけじゃなさそうね。」

言いながら、声の主は木陰からゆっくりと姿を現した。姿かたちこそ似てはいるが、エルフのそれより濃い褐色の肌、闇へ溶け込む灰色の服。それはエルフでありながらエルフでない存在。何らかの規律を破り、エルフ族を破門された存在。

「『堕落したエルフ』…。」

「そう。あなたたちはそう呼ぶわね。人によってはダークエルフなんて呼ぶこともあるけど。でもあたし達が何者であるかなんてどうでもいいわ。あたし達は規律に縛られない。あえて言うなら、あたし達はあなたと同じエルフの血を引いて悠久の時を過ごす、ただのマッドサイエンティスト…。そう…、根本はあなたと同じなのよ。可愛いエルフさん。」

だがエルフはその挑発には乗らない。

「ジャックを返して!」

「あらつまんないの…。見たところあなた、森を出ちゃいけないんじゃないの?」

「っ!……」

エルフはまだ森を出る許可を得ていないことを見抜かれ、体を一瞬震わせる。それは、そのエルフが森を出るだけの知恵と力を持っていないことを意味している。

「まあいいわ。実験材料はこの森の奥にいる。連れて行きたければ連れて行きなさい。ただし…」

堕落したエルフが戦闘態勢へ移行するのを見て、エルフは腰につけた剣を引き抜くと、訓練で覚えたとおりに構える。

「このあたしを倒してからになさい!フローズン・クラウド!」

ビュォォォォォッ…

「くうっ!」

堕落したエルフは右手のひらを前に突き出すと同時に魔法の呪文を唱える。すると、エルフの足元に急激に冷気が押し寄せ、細かい氷の粒が気流に乗って足元を縦横無尽に切りつける。

「ふふふ…、こう見えてもあたしもエルフの道を通ったのよ。あなたにこんな魔法が使えるかしら?ファイアー・ボール!」

ゴォォゥッ!ボウン!

「ああっ!」

今度は火の玉が飛んでくる。エルフはなす術もない。一瞬にして魔力の炎に包まれるが、なんとか左に転がって炎から脱出し体勢を立て直した。

「てえええい!」

「あら…」

エルフは剣を振り上げて堕落したエルフに突撃し振り下ろす。しかし堕落したエルフは右に移動し、簡単にそれを避ける。エルフは勢いのままそれを通り過ぎる。

「くっ…せええい!」

「あらあら、なんてこと…」

「くうっ!」

なんとか止まったエルフは今度は剣を横なぎにするが、今度は下に避けられ、しかも剣の重みでエルフ自身が体勢をくずしてふらついてしまった。

「あなた…剣の扱いもまだなってないのね?しょうがないわよね。森の中じゃ本気で剣を振る相手なんていないですもんね。ほほほほ。」

堕落したエルフの言うとおりだ。器用さで勝るエルフ族は弓の勉強はさせられるが剣の道を選ぶ者は多くない。しかも身内相手に本気で剣を振るわけにはいかない。そのうえ、このメイルブレイカーを実戦で使ったのは、いや、そもそも実戦そのものがこれが最初なのだ。痛いところを何度も突かれ、心が折れそうになる。

「ひょっとしてあなた、魔法の勉強は?足元の傷くらい治しなさいよ。靴が真っ赤よ。」

「そっ、それくらい…!ヒール!」

エルフは言われて回復魔法を詠唱する。

「…ヒール!」

足元の傷は、しかし、治る兆しがない。

「……ほほほほ。」

「ぐうぅっ…!」

エルフはもう歯を噛み締めるしかない。森での授業は眠くなるから抜け出してきた。おじいちゃんの言うとおりだ。ターニャ様の魔法の授業をもっとまじめに受けておけば、ヒールのひとつもできたかも知れないのに。

「残念だったわね。最初で最後の戦いがあたしとなんて。でもこれが世界の掟。弱い者は負けるしかないの。あなたエルフでしょ。これでまたひとつお利口になったわね。」

堕落したエルフは歩きながらエルフに諭す。しかしエルフはもう逃げることもできない。

「でもそんなことをしても無駄…。さようなら。可愛いエルフさん。トルネード!」

「あああああっ!」

堕落したエルフが右手の二本指で地面を指差すと、その足元に赤く光る魔法陣が浮かび上がる。そして陣を織り成す光が最高潮に達すると、突然激しい土と岩の嵐が魔法陣から吹き上げた。まるで木の葉のように、軽々と宙を舞うエルフ。もはや、できることは何もなかった。

(……ごめんなさい、ターニャ様。もっと魔法の授業を聞くべきでした。ロビンウッド様の弓の授業も聞いておけばよかったかな。エヴァ様、こんなあたしを許してください。ごめんなさい、ジャック君、火田村の人間さん。それに、おじいちゃん……)

《何事も成し遂げるという心構えが重要なんじゃぞ。どんな技があったとしても、》

不意に、エントに聞いた台詞が思い出された。今思えば、おじいちゃんの言ったことに間違ったことは一つもなかった。

《どんな技があったとしても、心がなければ何にもならんからな。》

(……そうだ…おじいちゃんはいつも正しかった…心…大事なのは心だっていつもおじいちゃんが言ってた……)

走馬灯のように蘇る記憶はどれも、エルフのみんなが、おじいちゃんが、いつも自分を想ってくれた記憶だった。

ズザッ

「なにっ!?」

木の葉のように舞ったエルフは、地面に落ちることなく、両の足で着地した。

「そうだ…、あたしにはやらなくちゃいけない大事なことがある!ジャックを探し出して、火田村に連れ帰して、エルフみんなの汚名をそそがなくちゃいけない!」

「くっ…、こしゃくな…!」

当然倒れると思っていたエルフが立ち上がったことで、堕落したエルフはうろたえた。

(なんだか体が軽い…。剣にもなにか不思議なパワーを感じる…。自分の力だけじゃない…。エヴァ様が力をくれた…?それなら、今なら戦えるかも知れない!)

「せえええええい!」

「くっ!」

エルフは剣を取って走り出し、ものすごい勢いで堕落したエルフに斬りつけた。間一髪のところで堕落したエルフは体を傾けてそれを避ける。

「バカな!さっきはそんな力はどこにも…」

「てええええい!」

「なっ!?」

すると今度は、剣を先ほどとは交差する方向に斬りつける。堕落したエルフは今度は間合いをとってそれを避けようとする。しかし間に合わない。さっきはあれほど重そうに見えていた剣が、今は信じられないスピードで繰り出されてくる。

「ぐあぁっ!」

堕落したエルフの右上腕に真っ赤な深い傷が描かれた。しかしエルフは剣の勢いを殺さず、むしろさらに勢いをつけて斬りつけてきた。

「エルフの名を汚す背信者よ!罪を償え!」

「まっ、待てっ!コーン・オブ・コールド!」

ざんっ!

「ぎゃああああああああああああっ…!」

顔から胴までに深い傷を負った堕落したエルフは、まるで白い煙が入った風船が割れたかのようにはじけて元のマナに姿を変え、空気中へと散っていった。

「…く、ぅ…っ。」

しかし一方のエルフも、堕落したエルフの最後の攻撃で腹に傷を負い、倒れた。

「…まだ…ジャック君…探してないのに…っ…」

しかしもう、その体は動かない。薄れ行く意識。彼女に、森に、暗闇が訪れる。

 … … … … …

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